那覇地方裁判所沖縄支部 平成元年(ワ)312号 判決 1991年10月24日
原告
鈴木安子
右訴訟代理人弁護士
照屋寛徳
被告
国
右代表者法務大臣
左藤恵
右訴訟代理人弁護士
羽地栄
右指定代理人
新垣栄八郎
右同
玉城淳
右同
西尾光行
右同
對馬修
右同
黒島英義
右同
宮崎政則
右同
潮平浩
右同
嶺井松繁
右同
来間芳雄
右同
平良真義
右同
金城壮吉
右同
高江洲昌巳
右同
新崎善清
右同
武島為行
右同
祝嶺春次
主文
一 被告は、原告に対し、金五三九万二一八七円及びこれに対する平成元年一〇月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
本件は、アメリカ合衆国駐留軍の雇用員を辞職した原告に対して支給すべき退職手当について、その金額算定の基礎となる勤続期間が争われた事案である。
一 退職手当の計算方法(当事者間に争いがない。)
1 沖縄に駐留するアメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)で働く従業員は、沖縄が本土復帰するまでの間、米軍に直接雇用されていた。しかし、昭和四七年五月一五日の本土復帰に伴い、復帰後も引き続き米軍で働く従業員については、被告を法律上の雇用主とする間接雇用の形態に切り替えられ、その労働条件等は、被告とアメリカ合衆国政府との間に締結された基本労務契約の適用を受けて定める移行措置が採られた。こうして、米軍との直接雇用は解除されたが、間接雇用に移行した従業員に対しては、退職手当が支給されず、復帰日以降に退職する際、復帰直前までの勤続期間を通算したうえで計算される退職手当が支給されることとなった。
2 原告は、復帰前から米軍の従業員として働いていたもので、復帰とともに間接雇用従業員に移行し、そのまま平成元年六月三〇日付けで辞職した。
3 したがって、被告には、原告に対し、復帰後から平成元年六月三〇日までの勤務期間に、復帰直前まで米軍に継続して雇用されていた期間を通算したうえで算定される退職手当を支給すべき義務がある。
二 原告に関する人事記録の記載内容
ところが、「沖縄の本土復帰前、原告がいつから米軍に継続して雇用されていたか。」に関しては、次のとおり、被告側の記録と米軍側の記録とが食い違っている。
1 被告側の駐留軍従業員台帳(<証拠略>)
採用年月日欄に「昭和三六年三月二八日」と、備考欄に「最終雇用年月日昭和三六年三月二八日」とそれぞれ記載されている。
なお、右従業員台帳は、被告の機関委任事務として原告の労務管理事務を執り行う沖縄県那覇渉外労務管理事務所(以下「労管」という。)が作成・保管するものである(人証略)。
2 米軍側の従業員台帳(<証拠略>)
現行雇用記録欄に「一九七一年八月一五日任用」と、補足情報欄に「最終雇用日(LHD)一九七一年八月一五日」とそれぞれ記載されている。
三 被告による退職手当の算定(2及び3は当事者間に争いがない。)
1 基本労務契約によると、被告は米軍側の要求する人事措置を行うものとされており(<証拠略>)、原告の辞職に伴う米軍側の人事措置要求書には、米軍側従業員台帳と同様に、「最終雇用日(LHD)一九七一年八月一五日」と記載されていた(<証拠略>)。
2 これを受けて、被告は、原告に対し、平成元年一〇月三日、昭和四六年八月一五日から平成元年六月三〇日までの勤務期間に対応する退職手当として、九五三万五九二五円(税引き後の支給額九三六万六九二五円)を支払った。
3 なお、原告の勤務期間を昭和三六年三月二八日から平成元年六月三〇日までとした場合、これに基づいて計算される退職手当の金額は一四九二万八一一二円になる。
四 争点
1 原告の主張
原告は、昭和三六年三月二八日に米軍の従業員として雇用されたもので、それ以後平成元年六月三〇日に辞職するまでの間、雇用に中断はなかった。したがって、原告は、被告に対し、退職手当残額五三九万二一八七円の支給請求権を有する。
2 被告の主張
米軍側の記録によれば、原告の最終雇用年月日は昭和四六年八月一五日と判断するほかない。復帰前の米軍従業員の雇用関係について、被告は一切関与しうる立場になかったから、その間の事実については米軍側の記録を信頼すべきである。
仮に、原告が昭和四六年八月一四日以前に米軍に雇用されたことがあったとしても、米軍側の記録によれば、同日までの間に雇用の中断があったといわざるをえず、したがって、被告には、同日以前の勤務期間に対応する退職手当を支給する義務はない。
第三判断
一 原告は、米軍に昭和三六年三月二八日雇用されたか。
証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、<1>米軍に雇用されていた従業員の場合、人員整理時の優先順位(先任権)を判定する基準となる勤務年数には、雇用中断の有無にかかわらず、米軍に雇用されていたすべての期間が通算されていたこと、<2>間接雇用に移行した従業員については、復帰時点で米軍の規定により認められていた勤務年数起算日(SCD)が、復帰後もそのまま適用されたこと、<3>原告のSCDは、労管の従業員台帳(<証拠略>)、米軍側従業員台帳(<証拠略>)のいずれにおいても、昭和三六年三月二八日とされており、双方の記載が一致していること、以上の事実が認められる。
右の事実と証拠(<証拠略>、原告本人)を総合すると、原告は、高校卒業後の昭和三六年三月二八日、米軍に雇用され、那覇航空隊第五一整備中隊にカードパンチ操作職として勤務するようになったと認めることができる。
二 その後、原告と米軍との間の雇用に中断はあったか。
1 証拠(<証拠略>、原告本人)によれば、<1>原告は、昭和三六年三月二八日に雇用されて以来、那覇航空隊第五一整備中隊に勤務していたが、同部隊の撤退により職場が閉鎖されることになったため、昭和四六年六月一六日ころ、勤務場所が那覇航空隊第六二三通信隊に変わったこと、<2>次いで、同年八月一五日ころにも、同様の理由により、牧港第二兵たん部隊へと移ったこと、<3>この二回の職場の変更は、いずれも上司からの指示に従ったもので、職場の変更にもかかわらず、雇用の種類、職種、仕事内容、給与等に変更はなく、また、解雇や人員整理等を理由とする退職手当の支払もなかったこと、以上のような事実が認められる。
2 もっとも、原告に関する人事記録の中には、右の認定事実と異なる記載がみられる。しかし、以下に述べるとおり、そのような記載があることによって、右の認定は左右されないと解するのが相当である。
(一) 米軍側の記録
(1) 米軍側の従業員台帳(<証拠略>)には、前記のとおり、原告の最終雇用年月日(LHD)として一九七一年八月一五日との記載がある。また、被告が米海軍財政部から入手した「他軍における前雇用履歴」と題する書面(<証拠略>)には、原告は一九七一年八月一五日から一九七二年九月三〇日まで第二兵たん部隊に勤務した後、同年一〇月一日、雇用の中断なく海軍航空施設隊に転任した旨の記載がある。
そして、本土復帰前、従業員の雇用主が米軍であったことに照らせば、復帰前の雇用関係について、米軍側の資料を軽視しえない旨の被告の主張には、直ちに排斥できない点がある。
(2) しかし、他方、前記一でみたとおり、米軍側の従業員台帳でもSCDが昭和三六年三月二八日とされている以上、同日からの雇用に関する資料が米軍側にも存在すると考えるのが自然である。また、復帰前、米軍に直接雇用されていた従業員に対して、退職時には退職金が支給されていたと認められる(<証拠略>)から、原告に雇用の中断があったとすれば、退職金の支払に関する資料もあると考えられる。それなのに、米軍側は被告の照会に対し、「これらの記録は見当たらない。」旨回答するにとどまっており(<証拠・人証略>)、結局、証拠上は、米軍側従業員台帳のLHDの記載を裏付ける資料はないというほかない。
加えて、労管の駐留軍従業員台帳(<証拠略>)は米軍側の人事記録を転記して作成されたもので、原告以外の従業員について米軍側の記録との不一致が生じた事例はほとんどないことが認められるところ(<証拠・人証略>)、右労管記録には、前記のとおり、二箇所に、昭和三六年三月二八日を原告の最終雇用年月日とする記載がある。そうすると、復帰当時、多数の間接雇用従業員に関する駐留軍従業員台帳を、一時期に作成しなければならなかったことは容易に推察できるけれども、そのような事情を念頭においても、労管記録の右二箇所の記載を、何らの裏付けもないまま単なる誤記と扱うことには、無理があるといわざるをえない。
このような事情を考慮に入れると、米軍側の従業員台帳(<証拠略>)の最終雇用日(LHD)の記載を直ちに採用することはできないし、また、その記載に反する事実の認定も許されるというべきである。
二 原告作成の身上書
(1) 原告の作成した身上書(<証拠略>)の職歴欄には、勤務した事業場名を記入する枠内に「那覇航空隊第五一整備中隊」、「那覇航空隊第六二三通信隊」、「牧港第二兵たん部隊」との記載が、また、それぞれの在職期間を記入する枠内に「一九六一年三月二八日から一九七一年六月一五日」、「一九七一年六月一八日から一九七一年八月一五日」、「一九七一年八月一九日から一九七二年五月一四日」との記載が、更に、前二者の退職の理由を記入する枠内には「人員整理」との記載がある。
(2) しかしながら、右身上書の職歴欄には、職歴を記入する行が五つあり、各行とも、事業場名を記入する枠、最初から「在職期間」及び「退職の理由」という項目名の印刷された枠の三つに区切られているものであるところ、原告としては、当時、勤務場所の変更によって三か所目の部隊に勤務していたため、正確な資料を確認しないまま、一か所につき一行を使って通勤していた期間を「在職期間」として記入したにすぎず、「退職の理由」についても、部隊の引上げにより人がいなくなって職場を変ったという趣旨で「人員整理」と表現したにすぎないと弁明しており、この言葉のもつ雇用契約上の意味を理解していたとは認めがたいうえに、かえって右身上書の記載を前提とすると、原告は二度にわたり人員整理を理由に解雇されながら、その三、四日後に再び同一職種で雇用されたという不自然な結果となりかねない。
してみると、原告の弁明をむげに排斥することはできず、この身上書の記載をもって、米軍側の従業員台帳の記載が裏付けられるとみることもできない。
3 なお、基本労務契約の定める褒章として、永年勤続者に対する永年勤続表彰があり、間接雇用へ移行した従業員については、復帰前の継続する勤続期間も通算される扱いとなっていながら、原告は、勤続二〇年の表彰を受けていない(<証拠略>、原告本人)。しかし、他方、原告は、昭和六一年に勤続二五年の表彰を受けている(<証拠略>)から、雇用に中断があったか否かを判断するにあたって、これらの勤続表彰の有無を決め手とすることはできない。
また、復帰前において、配置転換等の異動の際、異動の内容を明記した書面が従業員に交付されていたかどうかは明らかでないが、仮に、原告に対し、そのような書面が交付された事実があったとしても、既に述べたとおり、米軍側に的確な資料が見当たらない以上、原告が右書面を現在まで保管していなかったからといって、そのことから原告に不利益な事実を導くこともできない。
4 以上のとおりであり、結局、前記1の事実によれば、原告は、昭昭和三六年三月二八日から本土復帰までの間、勤務場所の変更はあったものの、米軍の従業員として継続して雇用されていたと認めるのが相当である。
三 結論
以上の事実によれば、原告は、被告に対し、退職手当残額五三九万二一八七円の支払請求権を有することになる。
なお、被告が、原告に対し、退職手当の一部を平成元年一〇月三日に支払ったことは当事者間に争いがなく、遅くともこの時点までには、原告に対する退職手当支給の準備に必要と認められる客観的合理的な期間が経過したといえるから、同日の経過により、被告の退職手当支払義務は遅滞に陥ったと解するのが相当である。
よって、原告の請求は、すべて理由がある。
(裁判長裁判官 中村隆次 裁判官 松谷佳樹 裁判官 萩本修)